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zoom RSS 阪神淡路大震災から24年・・・・

<<   作成日時 : 2019/01/17 18:34   >>

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今でこそ、埼玉県にいる私ですが、当時は震源地に住んでいました。
神戸の街も私の庭みたいな感じで遊びなれた街でした。
当日、私は東京に出張に行っていて、電話で叩き起こされ、テレビをつけて、唖然としたのを今でも忘れられません。見知った光景の街がこんなにも変わってしまうのか・・と。倒れこんだ高速道路の橋脚や一面に広がっている火災の煙などテレビを見ていることはできず、急遽戻ったのです。ですが、戻るのもかなり大変でした。空路以外の交通網は使えませんでした。でも、空港についてからの移動も大変な状態でした。戻ってからも、変わってしまった街の景色、亡くなってしまった知人や友人や親類の知らせを聞くたびに気分が沈みました。どうしても連絡が取れない友人などは車で家を訪ねて行ったこともありますが、車で入れない瓦礫の山と化した街並みに友人の家も当然のごとくつぶれ、でも、どこに避難しているかを書かれた張り紙を見つけたときはほっとして再会を喜びました。ですが、瓦礫の家の所には、この下には家族が・・・とか書かれた張り紙もあり、とても言い尽くせない悲しいものを感じました。
神戸や尼崎の親せきを訪ねて行った際には、焼けたところもありとても私が見知った光景の街ではなく、地図とまだあまりあてにならなかったカーナビだけが頼りでした。
瓦礫がある程度整理された通りを歩いていくと、大きなリュックを背負ったおばさんが前を歩いています。リュックには、おにぎり、あったかいお茶持ってます。声かけてください。と書かれた張り紙が張られていて、とても感動してしまいました。だけれそのおばさんを見かけて通り一つ隔てたくらい、10分もしないうちにリュックを背負った男性の背中には、おにぎり1個5,000円の文字を見て信じられない思いでした。
こんな時、人間の本性が現れるのだと思いました。
当時、私は某ファーストフード店のアシスタントマネージャーをしていたので、ストアマネージャーと相談して、僅かながら、避難所へハンバーガーなどを持っていったりしました。
ただ、5日目くらいから他の食料も届けられるようになり、ゴミ捨て場に山のように捨てられている食料を見ると、必要ないかなとそれでやめてしまいました。
他にもごちゃごちゃといろいろなことがあり、私は本来自分の生きる道に戻るべきだなと思ったのもこの時で、これを期に、仕事として初めて福祉の道に入ったのです。
私の一つの忘れられないターニングポイントの一つとなった出来事ではあります。

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